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御物茶師 星野家に仕え、茶の品質を鑑定し斡旋・集荷をしていた初代 丸屋惣助は御茶仲買株渡世を取得し現在地で創業した。 | ||
茶師以外で茶を扱う多くの商人が生まれ、御茶壺道中(幕府への新茶上納)を催行していた御物茶師星野家も窮乏し、丸屋惣助はその代行として奉納するようになった。 | ||
大政奉還によって幕藩体制は崩壊し、幕府諸侯の庇護のもとにあった宇治の茶師も一挙にその特権を失う。 幕末から明治にかけての激動期に茶業界も大きくゆれた。 | ||
明治新政府は、明治九年にアメリカのフィラデルフィア万国博覧会を見学し翌十年から三十六年にかけて5回の「内国勧業博覧会」を開催した。 | ||
東京上野公園で開催された第一回内国勧業博覧会にて、四代目入江宗七が出品した茶が花紋賞を受賞。 | ||
平安遷都千百年記念祭にあわせて京都岡崎公園で開催された第四回内国勧業博覧会にて、有功賞を受賞、第五回内国勧業博覧会には五代目入江宗太郎の出品した茶が二等賞をとる。 | ||
関西府県連合共進会が殖産興業政策の一環として第九回の博覧会を三重県津市偕楽公園で行われ、六代目入江宗太郎の出品した茶が、金賞を受賞した。 | ||
京都府茶業卸商業組合 常務理事・京都府茶卸統制組合 常務理事・京都府茶生産組合 組合長などを歴任し、宇治茶業界のために尽力した。 | ||
株式会社 丸宗として資本金壱千萬円の法人設立、七代目入江甚之輔が代表取締役として就任した。 | ||
八代目入江宗輔が代表取締役に就任。 | ||
創業の地 宇治市宇治妙楽108に本社・工場・冷蔵倉庫を建替え竣工する。 製茶仕上げ総合機、乾燥機、色彩選別機、真空唐箕機、切断機、窒素ガス充填機、抹茶トーシ機、抹茶臼二十台を備えた挽き茶場・移動式棚付き冷蔵倉庫を設置した。 |
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抹茶の需要拡大により抹茶臼十八台を増設し、三十八台となる。 | ||
株式会社 宗新を設立しインスタント茶販売を始める。 近年、簡便なインスタント食品が普及する一方、急須に入れて飲むお茶が敬遠され、玉露や煎茶の需要が減少していった。生活様式の変化に対応しつつ、宇治茶の伝統を守り育てるとともに消費者のニーズを受け止め、宇治茶の伝統の心を失わず、飲んでおいしいと言われるお茶の販売をインスタントティーとしてはじめた。 |
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業務拡大により新たに槙島第二冷蔵倉庫を取得した。 (敷地857m²・一階455m²・二階398m²) |
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自動袋詰機導入。 | ||
燃える炎は、見た目は同じでも絶えず変化している。伝統は古いことを繰り返すだけではない。 革新の繰り返しである 【千宗室】 |